この
虹の橋は、原作者不詳のまま、たくさんの動物のサイトに伝わっている詩です。
原文は英語 (
これ と
これ )で、それが世界中の共感を持った人たちによって様々な言語に翻訳され、
ネットを通じて伝えられているのです。
ですから日本語訳もいろいろ存在します。
どれが正しい、というのはないものなのです。
この詩で、コンパニオンアニマルを失った苦しみが少しでも癒されたり、
「死んだ子は虹の橋で待っててくれる。次の子と暮らすのは裏切りではない」、
「また別の子を幸せにしよう」というポジティヴな気持ちになれたら素晴らしいと思い、ページを作りました。
「死んだ時つらいから、もう飼わない」とよく言います。
でも、毎日毎日、なんの罪もないのにガス室や麻酔薬で殺されていく犬猫が無数にいます。
ぜひ次にはそんな子を1匹でも幸せにしてあげてください。
その子が幸せになった時、もっと幸せになっているのは、あなた自身だと思うのです。
また、亡くなった子も、あなたがいつまでも苦しい思いの中にいたら、とても心配し、あなたがまた笑顔を
見せれば、虹の橋で安心して遊んでいられると思うのです。
原作では、幸せな飼い主と動物の再会を描いた「虹の橋」と、不幸だった人間と動物を描いた
「虹の橋のたもとで」の2編に分かれているものを、ここでは続ける形で掲載したことをお断りしておきます。
転載の際、できれば2編一緒に載せていただけると嬉しいです。
当サイトに載せている「虹の橋」シリーズのページは、日本語に翻訳されていた
あきののはら様の
ページを丸ごと転載したものです。
この訳を、
ページごとリンクされること、また
ホームページや日記・ブログ・掲示板などへ転載されることは
あきののはら様のページにもありますが、
自由(というか、大歓迎!)です。
この詩を読んで、一人でも多くの方が慰められますように。
ペット葬祭会社や動物病院で、悲しみの飼い主さんにこのコピーを渡している所があるとも聞きました。
とても嬉しいことですね。そういう使用方法もどんどん広げていきたいですね。
翻訳につきましては、誤訳があるかもしれないこと、また故意に意訳した部分もあるだろうことをご了承下さい。
原文にはpetという語が何回が出てきますが、これは故意に「動物」、「友」というような言葉に置き換え
させていただきました。
これは、このような魂の結びつきのある関係に「ペット」という言葉は不適当な気がしたからです。
原文が書かれた頃はそれでよかったのでしようが、現在ではペット−愛玩物−という言葉は世界的に
敬遠されはじめ、コンパニオン・アニマルなどと呼ばれはじめていますので。
もっとも「ペットロス」という言葉は逆に市民権を得てきていますが・・・。
私に禁止する権利はありませんが、この詩を使って直接営利的なこと(例えば出版等でのお金儲け)を
されるのは、多くの方への裏切りになると思いますので、ご遠慮いただければと思います。